自己紹介

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こんにちはMitchです。これからこのブログを書き進めていこうと思っています。
2010年7月から学校も仕事の関係で海外生活が続いていて、英語の重要性は骨身に染みて分かっていますので、英語を主な題材にしていこうと考えています。
また、海外投資にも力を入れており、バックグラウンドが法務ですので、英語に加えて、海外投資全般とそれに関わる法務・会計・税務に関する点も題材にしていく予定です。

この投稿を読むメリット
筆者が全く英語を使えなかったところから、アメリカの大学院で学び、海外で仕事をするようになったという経緯を知ることができ、純ドメの方でも自信を持つことができる。
それでは自己紹介をしてみます。
渡米まで

まず自己紹介をしますと、地方の公立小中高出身で、中学受験はしてません。
大学は日本の大学の法学部出身です。
その後何度か司法試験を受け、論文試験のある人事院前で秋に何度か泣き、最終的に2003年11月に司法試験に合格しました。
2005年に弁護士になり、主にM&Aや企業再生などの企業法務に関与しました。
当時日本のビジネスも国際化の一途をたどり、それに伴う法務でも英語案件が増えていきました。
私は大学受験時に英語をやったものの、とてもビジネスで使えるレベルになく、英語を使える後輩などに頼んだりしてずっと英語案件から遠ざかっていました。ただ、このままずっと英語できないままだと職域も広がらないだろうということで、一念発起して同僚と一緒に英語の勉強を始めました。

ちなみに最初のTOEFLの点数は46点でした…

ただ、とりあえずやってみるって大事ですよね。
TOEFLについての自分のダメダメな立ち位置が分かったので、仕事の合間に勉強してTOEFLも90点台まで上がり、2009年末から2010年初頭でロースクールに10校ほど出願しました。
この時点ではTOEFL100点いってません。
また、日本にいる時点から、ロースクールのあとはビジネススクールに行こうと考えていたため、ビジネススクールの準備も進めていて、GMATも2回受けています。下の方で点数公表しますが、全く歯が立たない点数だったため、二兎を追うものは…ということでまずはロースクール合格に向けて注力することにしました。

渡米とロースクール

TOEFL90点台でも意外と戦えるのか、なんとか西海岸のロースクールから合格をもらい、2010年7月に渡米しました。
ただ、このロースクール、サマースクールの時点で日本人が20人以上いて、これは日本のロースクールと変わらない環境だし、もう少し日本人少ない方が良いかも…と思い始め、補欠合格になっていた中西部にあるロースクールに(拙い)英語で毎日電話かけまくりました。
その甲斐あってか繰り上がり合格し、希望校の1つであったロースクールに参加することになったので、西海岸から中西部に引っ越しました。

ロースクールでの生活は、とにかく大変でした。
まず、教授の英語が分からない…。ICレコーダーに録音して聞き直してもやっぱり分からない…。何とか分かるようになりたいと試行錯誤しているうち、渡米から半年後くらいになって急に聞き取れるようになりました。なぜその時点で聞き取れるようになったのか、今でもよくわかっていません。

ロースクールの勉強と同時並行でビジネススクール出願の準備も進めていました。
TOEFLもなかなか100点突破せず、IELTSも7.0に届かず、GMATも500点台で、とてもとても2ndラウンドで出願できる状況ではなく、2010年の年末~2011年の年始もずっと勉強していました。
結局、2011年1月中にIELTSで7.0を獲得、そして3rdラウンド直前でGMATで670点獲得、TOEFL100点突破したため、ようやく3rdラウンドで出願しました。

まずはIELTS7.0を取れた時のスコア表

次にTOEFL101点。スピーキング20点…。

GMATは670点とAWA5.0で終了しました。

今にして思うと本当にギリギリでした…。
何とか東海岸のビジネススクールに合格し、ロースクール卒業後ビジネススクールに参加しました。

ビジネススクール

私のビジネススクールはワシントンDCにあったので、住まいはDC近くのアーリントンを選びました。
一方で、妻もニューヨークにある2年制の大学院に通い始めたため、週末婚の形になりました(妻と同じ大学のビジネススクールに行こうとして2回受験したけどダメでした。)。子供が2歳で、平日は妻が朝ナーサリーに送って昼間勉強し夕方ピックアップ、毎週末私がDCからニューヨークに行き子供を見ている間に妻が図書館に行って勉強という、とんでもなく過酷な2年間でした。
ただ、もちろん妻の方が大変であったことはいうまでもありません。
幸運にも1年終了後の夏休みにはワシントンDC特別州政府でインターンをさせてもらう機会があり、とても貴重な経験をすることができました。

ビジネススクールでの生活については今後深掘りする機会もあると思いますので自己紹介ではこの程度にしたいと思います。

ビジネススクールは落第することなく、何とか2013年5月に卒業し、6月に帰国しました。

東南アジア生活(インドネシア・シンガポール・マレーシア)

帰国後、留学前とは別の事務所に参加しました。
2014年1月から2015年12月まで2年間インドネシアのジャカルタにある現地法律事務所に出向し、2016年1月から4月まではマレーシアのクアラルンプールにある法律事務所に出向し、同月から2018年7月までは事務所のシンガポールオフィスに駐在し、2018年8月から現在まで再びマレーシアのクアラルンプールにある法律事務所に出向しています。

各事務所では、東南アジアに進出済み又はこれから進出する日系企業の法的なサポートをしてきました。法的なサポートといっても本当に様々で、進出前のリサーチ案件から上場企業のM&Aまで、仕事の範囲は広く、またクライアントの業界も様々です。

投資活動

東南アジア生活を通じて、特にシンガポールでの生活を通じて投資の面白さに目覚め、少しずつ有価証券・不動産ともに投資を続けています。
自分でもそれなりの時間をかけて勉強し、また勉強会などに参加するなどして知識を蓄えています。
株式については、ほぼアメリカのETFに投資しており、含み益を抱える銘柄もありますが、あまり気にせずガチホしています。今後も積立投資的な発想で、値下がりしているときにはたくさん買い、値上がりしているときにはほどほどに買う、ということで続けていく予定にしています。
不動産は既に投資用のコンドを所有しており、今後もチャンスがあれば不動産投資も進めていければと思っています。

投資活動についても今後深掘りしていくことになると思いますので、ここでは投資活動に関わっていくきっかけだけ記載しました。

まとめ

以上のとおりざっと海外生活を中心に自己紹介をしてみました。

このブログのタイトルどおり、日本人のみんな、特に若手が世界に飛び出していくことを切に希望しています。
また、日本人にはどんどん世界の動産不動産に投資してもらい、インカムゲイン・キャピタルゲインで自分も豊かになりたいですし、皆さんにも豊かになってもらいたいと思っています。
また、海外投資については法務会計税務全ての知識が必要になります。特に大きなインパクトのある税務についてできるだけわかりやすく説明していく予定です。

今後世界へ飛び出そうとする人や世界への投資についての自分の考え方を今後説明していきます。
是非お楽しみ下さいませ。

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